非日常in日常日記

我々が過ごす日常は非日常の結晶なのである。 ーーー橋本剛

なめる。

私の名は味覚。

五感を司る五人組の戦隊ヒーロー『カンジルンジャー』の一員であり、名を冠する感覚が非常に優れている。たとえばリーダーの視覚は遠くの敵を発見できたり、動体視力で敵の攻撃を避けたりなどということができる。

我々は日夜、悪との戦闘に励み、そしてこれを打ち砕いてきた。そんな日々の中であることに気がついた。勘のいい読者なら察しがついているのかもしれない。そう、私はカンジルンジャーに必要な人材ではないのではないか、ということだ。なぜなら、私の能力は味覚。食べたものをより美味しく感じることができるほか、舐めたものの材料がわかるというものだ。

だからなんなんだと、思うだろう。過去に探偵がこの能力をもってして次々に事件を解決するという話を聴覚から聞いた。彼女は1つずつ言葉を選びながらはち切れそうな水風船を持ち上げるように優しく私に言葉をかけた。

「そんな探偵もいたんだからあなたの能力もきっと戦闘に役立つ使い方があるはずよ」そう言って彼女は少し上気した頬をこちらに向けた。深夜のバーの話だ。氷の溶けかかったロックグラスを傾けながら彼女は続ける。

「そう、毒なんかを使う敵ならあなたの能力で突破口が開けるんじゃないかしら」

私はそれを聞いて少しムッとして、空になったホットミルクのカップの底を睨みながら言を返す。

「なら君は、敵が出した毒を私に舐めろというのかい?」薫せたシガーの煙が口の端から溢れでる。彼女は少し目を見開き少し俯いて考え込んだあと、これは妙案だ、と悪戯を仕掛ける前のような子供の表情で口を開いた。

「なら敵の身体を舐めて敵の弱点を見つける、っていうのはどうかしら?」彼女の前に新しいロックグラスが置かれる。

私はひどく唖然とした。『パンがなければケーキ食べればいいじゃない』そう言ったマリーアントワネットは民衆が飢餓に置かれてることに対する無知からかそう言ったという。私はこのもう見ぬ民衆にいたく同情を覚えた。

「舐めれるほどの近距離にいたとしよう、私ならば通常攻撃を浴びせるがね」ジリジリと焼けるシガーの先から灰の塊がポトリと落ちる。今の彼女は悪戯が失敗した子供だ。不貞腐れた表情で先ほど来たばっかりのロックグラスを空にする。

「おいおい、飲みすぎじゃないのか?」

私の言葉を遮るように彼女は財布の中から無造作に紙幣を掴みカウンターに置いて立ち上がる。

「あなたって理屈っぽいから嫌いよ。」

そう言って彼女は立ち上がる。

「待ってくれ。機嫌を損ねさせて悪かった。そうだ、二軒目に行こう。私が奢るよ。」

そう言ってなんとか機嫌をとろうとしたが彼女の機嫌はそう単純ではなかったようで、そのままバーを後にしてしまった。

するとそこにまだ若い女性のバーテンダーがホットミルクを持ってきた。女にフラれた直後だ、なんと間の悪いバーテンダーだろう。

「もう少し早いと、彼女を追えたんだがな。」

情け無い。ばつの悪さをこんな年端もいかぬ子にぶつけるとは。

「申し訳ありません。お客様がお話していたので給仕するタイミングが掴めずにいて。」

少し萎縮した表情でその少女はおどおどしている。

「いや、謝るのは私の方だ。当たってしまったすまなかった。フラれた腹いせにね。」

そう言って少しおどけて見せると少女は安心して表情を綻ばせた。少女が持ってきたホットミルクを口にすると思わず笑みがこぼれてしまう。私が急に笑ったことが気にかかったのか少女は怪訝な様子で私に尋ねる。

「どうなさいました?」

「いや、彼女もミルクも私には温かくないのかと思ってね」その言葉を聞いた少女は再び萎縮した表情でまた、口を開く

「申し訳ありません。温めなおしましょうか?それともなにか別のお酒をお持ちしますか?」

私は冷めたホットミルクが、何か私の心の一部を代弁してくれているかのように見えて、変な話だが少し情が湧いていた。

「いや、いいんだ。それに私はお酒が飲めなくてね。ありがとう。下がってくれて大丈夫だ。」そう言ってやると、少女は礼をした後少し早歩きでバックヤードに踵を返す。よっぽど怖かったのだろう。申し訳ないことをした。

再びホットミルクを口にするとまた笑いがこみ上げてきた。

「あの子、砂糖も入れ忘れたな。まぁ、なにを飲んでも美味いのだけれど。」

今のこの時だけは味覚に感謝しながら、ホットミルクを飲み干す。

「さて、帰るか。」

ひとりごちる。シガーはとっくに燃え尽きた。コートを羽織り、私も彼女のようにバーを後にする。

 

 

 

6時に起き、朝食を摂り、ポストに朝刊を取りに行き、ニュースを見ながらそれを読む。私の10年来変わらない日課だ。そのあと、出勤の時間まではランニングをする。しかし、昨日少し夜更かししたせいかランニングの時間が差し迫っていた。いつもの公園の周りをいつもと少し早めのペースで走っていると、角から警察官が飛び出してきた。私が何か言うよりも早く向こうが叫ぶ。

「どこ見て走ってんだ!!」

私は少しカチンときた。向こうが飛び出してきたのだ、私は悪くない。

「君は警察官だろう。そんな君が市民にそんな物言いはないだろう。だいたい君が飛び出してきたんだ。ここは君が謝るのが筋ではないのかい?」

そういうと、彼は今にも掴みかかりそうなほど怒っているのが見て取れた。最近の警察官は皆こうなのか。だとしたら問題だ。悪は我々が倒さなければならない。なんて、少しふざけたことを考えていたら警察官が叫ぶ。

「本官を舐めるなよ!!!!」

私の脳裏に雷鳴が轟いた。舐めるな。そう、私は味覚のヒーロー。舐めることが得意なのであった。心が揺さぶられ放心気味になっている私に警察官は畳み掛ける。

「だいたい朝からダラダラとランニングとはいいご身分だな。貴様みたいなやつがいるから我々の仕事が増えるのだ。とっとと消えろ。さもなくば公務執行妨害で貴様をしょっぴくぞ。」

昔の私はあまり争いを好まなかった。しかし、"舐める"ことが私の使命であると気がついた今や、私を止めるものはなかった。それからの私は少し記憶が曖昧であった。随分と警察官を言い負かしていたような気もするし、そうでないような気もする。だが、ハッとすると目の前には警察官が怯えて頭を抱えていたので、おそらく言い負かしたのだろう。私は自分の生き様を知ることができた。私の体は心地よい疲労感に満ちていた。ランニングでも戦闘でも数年間得られなかった充足感が体を支配していた。

 

 

それからの私の生活は一変した。いままでは合体技の時や、脇役との戦闘にしか役に立てずにいた。しかし、いまやどうだ。戦闘が始まるとともに、私が前に出て相手を舐める。するとどうだ、敵は戦意を喪失し地に伏せる。私は確信していた。私は紛うことなく最強の五感を得たのだ。

うだるような暑さの夜。確かセミの声はもう聞こえなかった。あれは残暑のきつい九月の夜だった。ベランダでシガーの煙を吐く私に、ベッドの中から聴覚が私に語りかける。

「あなた、昔とは変わったわね。」

シーツを体にまといながら崩れた髪を縛り直す。

「そうかな。」

言葉とともに煙が漏れる。

「少し強くなりすぎよ。」

チラとこちらを見て何か愉しそうに微笑む。

「いいことじゃないか。強いことは。」

彼女は今度はあまり愉しくなさそうに言葉を紡ぐ。

「強い人との恋愛はあんまり燃えないのよ。あなたといるのが退屈なわけではないのだけれどね。」

ネグリジェを着て、またベッドの中にもどる。私は彼女がなにを言いたいのかわからなくてもどかしさを感じた。

「どう言うことだ?」

「少し考えてごらんなさい。最強のヒーローさん。」

ベランダから顔を背けすっかり寝る体勢になってしまった彼女はその後なにを語りかけても返事をしてくれることはなかった。

 

 

夜が薄く衣を着たような早朝。長官から緊急連絡が入る。敵が現れたとのことだ。じきにヘリが私と聴覚を迎えに来る。2人でいるところを見られると少し良くない思いをする。聴覚を帰らせ、急いで出動の準備をする。朝食を摂る時間はなさそうだ。屋上に向かい、ヘリを待つ。

 

数分もせずにヘリが迎えにきた。そして、ヘリの中で長官からのテレビ電話に出る。

「今日の敵はどんなやつなのだい?それにしても無粋な敵だ。私の朝のティータイムが台無しだ。」

そうやって冗談を言う私に長官は少し苛ついた様子で答える。

「今日の敵はそんなに楽ではないぞ。そっちにデータを送る。10分ほどで目的地に着くのでそれまでに目を通しておくように。健闘を祈る。」

よほど機嫌が悪いのだろう。言いたいことだけ言って電話を切られてしまった。タブレットを横の席に投げ置き、目的地に着くまで眠ることに決めた。

 

「目的地に着きました。」

ヘリの操縦士に起こされる。心地よい睡眠とは言えなかったので少し寝覚めは悪い。とはいえ、そうも言ってられない。操縦士に礼を言い、地面に降りる。敵はすぐ目の前だ。

もう、何度やったことであろう。我々すら見飽きた登場シーンを版を押したかのように行ったあと敵に向かって言う。

「勘弁してくれ。早朝だぞ?君は粋ではないね。」後ろで触覚が欠伸をする。呑気なものだ。数拍置いて敵が言葉を返す。

「私がどこでなにをしてようが私の自由だ。君たちが毎度毎度面白いように私たちの前に現れるから悪いんだろう。勝手にきておいて勘弁してくれとはなんだ。無礼なやつだ。」

私は少し吃驚した。弁がたつ奴だ。私は苛立ち、敵に弁を返す。

「それが私達の仕事なんだ。だいたい悪事を働く敵を放ってはおけないだろう。」

その言葉を聞いて敵は大きく笑う。

「なにが面白い。」

苛立って少し大声で叫ぶ。

「君は私が悪事を働くという確証があるのかね。無論私は人と異なる容姿をしているがそれ悪事を働く証拠にならないだろう。君は上司に僕を殺せと言われたから殺しに来たのかい?君自身の考えはないのかね?」

そう言われ、心の芯のようなものを掴まれた気がした。その手から逃げるのには怒りをぶつけるほかなかったのではないかと思う。

「私を舐めるな!!」

そう叫んで拳を振り上げ敵に殴りかかる。刹那、私の身体は宙を舞い景色がせせらいだ。理解が追いつくよりも早く、身体に重力が追いついた。地面と激突した私は意識を失った。

 

 

 

 目が覚めると、目の前に敵がいた。辺りには私の仲間が地面に伏していた。敵の方に目を戻すと、私がなにかを言うよりも早く敵は悪いことをした子供に諭すように話し始めた。

「君たちの能力は分かっていた。と、いうよりも完全に調べ上げてきた。なんでだかわかるかい?」

いままで、我々のことを調べてから戦いに臨んだ敵はいなかったような気がする。それは、我々があまり苦戦せずに敵を始末してきたからか、果たして真相は知ることはないだろう。私は軋む身体を潰すように声を出す。

「どうしてだ。」

敵はその返事が来ることをわかっていたかのような顔をして答えた。

「君はさっき私に舐めるなと言ったね。違うんだよ。君が私を舐めていたのだよ。」

矢で心臓を射られたような感覚を覚えた。なにも言えない私に敵は言葉を足す。

「君は私の情報を調べたかい?そんなことはしていなかったはずだ。君たちは長年の戦いで敵を舐めることを覚えてしまった。さらに君は強大な力を手に入れ、より敵を舐めるようになった。それでは私には勝てない。」

なにも言い返せなかった。暗澹たる心情の中でも、私の心の中のヒーローの部分が少しだけ光を見せた。

「これからお前はどうするんだ。地球を征服するのか。」

負けたくせにいまさらなんだ。そんな声が自分の中を反駁する。

「もちろん征服はする。ただ、それにはまだまだ人間を調べるための時間が足りない。だから10年後か20年後か、もしかしたら何百年かの時間をおいてからすることになる。」

その理由はもう聞かなくてもわかる。今、私はようやく完全に敗北したという事実を受け入れることができた。

「一度私は星に帰らなければいけない。また、来るよ。君が生きている内かどうかはわからないけれど。」

そう私に言葉をかけ立ち上がろうとする敵はイタズラ好きな子供のような顔をしていた。その顔を見て私はハッとした。

「待て!私のことは殺さないのか!」

敵は非常に満足した顔でこう答えた。

「君を殺すと人間が私達の事を評価して対策されてしまいそうだからね。君たちは生き残って、そのあとは非難轟々だ。」

嬉しそうな顔で今度こそ立ち上がり、自分の船に向かう。大きな背中が今は子供のような背中に見えた。

 

 

 

「これ、ホットミルク」

そう言って聴覚が私の病室のベッドの上にマグを置く。礼を言いそれを受け取ると聴覚が続けて話し出す。

「あの敵、背中の怪人だったらしいわね。」

「背中?それは微妙な怪人だね。あんなに強かったのに。」

ホットミルクに息をかけ、冷ましながら答える。聴覚がくすりと笑う。

「あなた、本当にデータ読んでなかったのね。なんで背中かわからないの?」

少し馬鹿にしたようなその表示に、データを読まなかったことを今になって後悔した。とはいえ、頭をひねるが全く答えがわからない。彼女に降参だ、と告げると答えを教えてくれた。

「背中は舐めることができないじゃない。」

そんな冗談みたいな理由で、彼がそんなに強かったのかと思うと笑えてきた。笑いながらシガーの箱に手を伸ばすと、彼女にその手を掴まれた。

「あなた肺を怪我してるでしょう。だいたい病院でシガーは駄目なのよ。」

と、彼女は私からシガーを取り上げようとする。

「いいじゃないか。たいした傷じゃないんだし。」

そういうと彼女はニヤリと笑って、

「そういう傷も舐めたらいけないのよ。」

と、答えた。

病室から見る空は突き抜けるように青く、自分の鏡のようだった。まだ少し熱いホットミルクをゴクリと飲み干し、ベッドにもたれる。

「人生舐めれないな。」

そうひとりごちる。

その横では聴覚が二杯目のホットミルクの準備をしていた。